インタビュー

『LA-MULANA』のNIGORO 楢村匠氏 スペシャルインタビュー

2016/05/23

PLAYISMでLA-MULANAを配信開始しましたことを記念し、開発を担当されたNIGOROのボスである楢村氏に配信直前の恐ろしく忙しい中、PLAYISMからスペシャルインタビューを行いました。

ルエミーザ小杉

まずは、チームの簡単な紹介をお願いします。

NIGOROというチームで、プログラマ2人、その他1人という3人体制でやっています。私はその他担当で、ディレクター、グラフィック、音楽とかプログラムが出来ない分いろいろやってます。(以前はGR3PROJECTと名乗られていました)

nigoro

ゲーム開発を始められたそもそものきっかけは。また、影響を受けた作品など教えてください。

私の家はゲーム機を買ってもらえず、MSXという安価なパソコンがありました。「ゲームを遊ぶだけでなく作ることも出来る」のがパソコンの売りでしたが、作るのは大変な作業です。プログラムを覚えるよりはキャラクターやマップを考えるのが好きで、

それらを書きつづったノートだけが増えていきました。そうした経験から「いつかゲームを作りたい」という願望が強く、プログラマーの仲間が出来た今、思いっきり発散しています。

※MSX 1983年頃に提唱された家庭用コンピュータ規格。手軽なゲームPCとして、全世界でヒットした。

処女作GR3の開発の動機、コンセプト、そしてそこからLA-MULANA開発にいたる経緯は。

アマチュア時代は自分のゲームを作りたいと言う願望を叶えることが中心でした。ですので作るゲームも全て「作ってみたかったゲーム」になります。それがグラディウスタイプのシューティングであり、ジャンプアクション散策ゲームだったわけです。このようにアマチュア時代は作りたいものは自然に決まり、迷うことなく没頭していました。

LA-MUALAという作品にしかない強み、またコンセプトについてお聞かせください。

LA-MULANAはオリジナル版が公開される1年目ほどに一通り完成していましたが、テストプレイの後に全体を作りなおすことを決めました。やりたいことを詰め込んだはいいが、量が多すぎて長く続くだけの単調なゲームになってしまっている気がしたからです。

そこで後付けのコンセプトでしたが、長くても退屈しない、緊張感が続けばよいのではないかと考えました。

LA-MULANAはアクションという形を取っているとはいえ、ヒントを読み解いて謎を解いていくアドベンチャー要素のほうが強いゲームです。

ならばそのヒントをいかに読み解くかに焦点を当て、ヒントにないことを実行すると痛い目にあうようにしてはどうだろうと考えました。

これによって謎を解く、推理することがさらに重要になり、手当り次第に壁をたたくような行為が出来なくなり、ゲームに緊張感が生まれました。遺跡探検という舞台にもマッチしたコンセプトだったと思います。

LA-MULANA ボス戦

一筋縄ではいかない仕掛けと罠で盛りだくさんの遺跡内部。罠にかかった先人の探検者たちが、いいヒントをくれる。

LA-MULANAオリジナル版配信の反響は当初どのようなものだったのでしょう。最初からかなり期待されていた作品だったのでしょうか、それともじわじわ口コミで広がった、という感じでしょうか。

アマチュア時代のものは趣味が同じ仲間に遊んでもらえれば満足だったのと、ゲームを作りたかったという願望が叶ったことで目標を達成していました。

海外も含めて広く評価されるなどとは考えていませんでした。あくまで自分が作りたかった、自分が良しとするものを作り上げただけでした。

LA-MULANAはMSX愛好家にさえ遊んでもらえればよかった為、パソコンゲーム特有のユーザーを突き放し具合に、高い難易度まで模して作ってましたが、予想以上に広まったことで予備知識なしの人まで遊ぶことになり、「なんだこの古い作りは!」とか「不親切過ぎるだろう!」などと怒られることもありました。

LA-MULANAは洞窟物語と並んで、世界で最も有名な日本インディーズゲームであると思いますが、LA-MULANAが海外へと波及した経緯をお聞かせください。また、海外で火が付くというのは、予想されていたのでしょうか?

公開した直後は海外のMSXコミュニティでとりあげられているのは確認しましたが、それほど広くは知られていませんでした。

公開後に海外の有志が翻訳をしたいと連絡してきたので、内部ファイルなど修正の方法などで協力しました。

その翻訳パッチが公開されてから海外でも広く知られるようになったとおもいます。ですので海外で広く評価されることは考えてもいませんでした。

どれぐらいの人が遊んだかという具体的な数字は知らないのですが、熱心に応援してくれる人もいますし、ゲームサイトのライターなどにも熱心に推してくれる人がいます。

NIGORO立ち上げの経緯・理由など教えてください。

自分が立ち上げていた趣味のMSXサイトに集まっていたプログラマを誘ってアマチュア活動をしていました。思った以上に高い評価をもらえるようになり、それまでやっていた仕事よりも情熱を注ぎ込めるゲーム作りを仕事にした方がいいんじゃないかと考え、LA-MULANA公開後にメンバーを誘いました。そのころネットの進化も早く、いずれダウンロードでゲームを買うことが当たり前になるんじゃないかという考えがありました。

その後、『薔薇と椿』や『めくり番長』など、LA-MULANAとは違ったトーンのゲームをNIGOROとして出されました。海外でも広めやすいようFlashゲームを選択されたそうですが、ここでLA-MULANAのようにレトロにこだわった作品をつくるという選択肢もあったかと思いますが、こうしたゲームを出された理由などは。

アマチュア時代の作品はパロディ要素も強く、商業化するにあたって扱いにくい面もありましたし、LA-MULANAを作り終えた直後で規模の大きなゲームにへとへとだったこともあります。まずは無名のNIGOROの名前を世界に広める為にFlashゲームを手がけようと決めました。それまで趣味の規模の大きなゲームしか作っていなかったので小規模なFlashゲームのアイディア出しにも苦戦しましたが、
この頃のFlashに向いたゲーム内容を企画する経験はLA-MULANAのリメイクにも活かされたと思います。

めくり番長

スカートめくりゲーム めくり番長

薔薇と椿

ビンタゲーム 薔薇と椿

日本の同人クリエイターが聞きたい所かと思いますが、フリーゲームであるLA-MULANAがWiiウェア版で販売することになったのはどういった経緯からだったのでしょう。任天堂に突撃されたとの話もあるそうですが。

NIGOROとして活動を始めてから、いろいろと自分たちでソフトの販売は出来ないか調べていました。Windowsでゲームを作ることを考えていましたが、その頃にはコンシューマー機でもダウンロード販売が出来るようになるという情報が出てきました。そこでXBLAやWiiWareなど、特に何を販売するでもなく参入方法を探っていました。任天堂にはFlashゲームで人気の高かった薔薇と椿の企画を持っていったのですが、これは通りませんでした。

コンシューマーへの参入は難しいと感じていた時に、海外の会社からWiiWareでLA-MULANAを出さないかと言う話が来ました。これに飛びついたというのが全てですね。

NIGOROとして活動している間に英訳されたオリジナル版が海外で評価されていたおかげとも言えます。ゲーム作りは大変ですが、何をするにしても完成させて評価をもらう所までは自力でやらないと何も動きはなかったでしょうね。

Wiiウェア版完成まで、リメイクにかけた期間はどのくらいになったのでしょう。また、特に時間を掛けてこだわられたポイントは?

オリジナルがあるものだから1年ぐらいで出来るだろうと思っていたら2年かかりました。初めて扱うハードで苦戦したと言うのもありますが、なにより商業活動第1作目なので必ず高評価を取らないとダメだと考えていました。

ダウンロード販売はパッケージ販売と違って在庫切れがなく息の長い販売になると思っていたので、遊んだ人の評価・評判が今後の展開を決めるほど重要になるだろうと考えていました。その為にも完成に近づいたとはいえ目に見えて弱い部分があれば仕様の修正・追加を行って、納得がいくまで作り込みました。その2年間の資金のなさは非常につらいものでしたが、それが報われるとしたらこれからだと期待しています。

Wiiウェア版への移植にあたって、ファンの方々の意見を参考にされていたのが印象的でした。なかなか一般のゲーム会社では難しい、インディーズならではのことだと思いますが、そこから得られるものは、やはり大きかったでしょうか?

大きかったです。その時はNIGOROとしてFlashゲームを中心に活動をしていたので、大きな作品に取りかかるとNIGOROサイトは一切更新がないままになってしまいます。

必死にゲームを作り込むことも大切でしたが、それ以上に開発期間の状況を秘密にしている間に忘れられるというのが一番怖いと思っていました。

そこで開発中の画像や動画、困っている所をユーザーに意見を求めてみたり、ゲームに必要なアンケートをとるなどして、ゲームを作っている活動自体をコンテンツに出来ないかと考えてあのようなやり方を実行しました。

現段階ではそれが売り上げに貢献があるという数字をだせる物ではないですが、海外では開発段階で受賞をしたりα段階で公開して広く意見を取り入れて成功しているインディーゲームが出てきました。

なのでこの開発状況を見せると言うやり方は他の製作ラインがあるわけでもない、商品が出ない間に広報できることもないインディーズ活動において絶対有益な活動だと自信を持って言えます。

今回それがさらにPCへ移植されることになりましたが、Wiiウェア版との違い、またPCへと移植した理由などお聞かせいただけませんでしょうか。

WiiWare版が発売されてから1年しか経っていませんから、 あまり謎解き内容などを変更するのも良くないと思い、基本的には内容は同じです。

ただしコンフィグなどはPCに合わせた設定に代わっています。とにかくWiiWare版が海外でなかなかリリースできなかったため急いで準備する必要があったので、大きな変更は行わないと決めていました。謎解きに変更はないですが、簡単に修正できる範囲でより遊びやすくなる配慮的な修正は行いました。

主に日本のユーザーがプレイ中に混乱した部分を修正しています。聖杯石碑は読まなければコンティニュー場所として機能しないというような修正がいくつかあります。

海外ではインディーズゲームはかなりの盛り上がりを見せていますが、日本ではまだまだこれから、という感じです。日本でのインディーゲーム普及における課題、カギは何だとお考えですか。

まず日本ではゲーム業界自体が問題視しているように、アメリカなどと比べると日本の人口は少ない為、売れたと言っても限界があります。

特にまだ盛り上がりを見せていないインディーゲームならなおさらで、成功と言えるまで売る為には海外での配信は絶対だと思います。

その為には英語ですね。さらに海外に自分の作品が知られる場所、きっかけが少ないように感じます。

そしてそういう成功例がない限り、本腰を入れてインディーゲーム制作をしよう!と言う人もなかなか出にくいのではと思います。

なにか日本のインディーゲームで100万本超えるような大成功する作品でもあれば、インディーゲーム自体がもっと注目をあびるのでは。そういうブレイクスルー的な作品、ニュースが出れば良いですね。

私たちPLAYISMに期待することは何でしょうか。

継続、でしょうか。ただ続くだけではなく、ブランドというか信頼というか、PLAYISMに置いているゲームは質が高い、こういうのを探している人にオススメだ!というような特色をもった継続というか。

審査するのか、評価の高いものに声をかけるのか、スマートフォンゲームのストアのように数が多くなくても厳選されたものが置かれているような。

そして日本の精鋭のような作品群が世界に配信されて成功例が次々と生まれるとうれしいですね。

少し前に話題になった質問ですが、楢村さんは、最近の日本のゲームは、どう思いますか。

最近のうんぬん以前にゲームを遊ぶこと自体がなくなってきました。家族が増えて時間がなくなったからですね。

ただ昔のゲームでもつまらないものは最高につまらないし、最近のゲームでもおもわず仕事をほったらかしにしてハマるような作品もあります。

画面がきれい、ポリゴン、ムービー、ドット絵、2D……これらはゲームを作る上での表現手段でしかないと思ってます。

何で表現してようがいつ作られたものだろうが面白いものは面白いと感じます。

ただ年齢のせいか元の職業(デザイナー)のせいか、だらだらと長い、操作がデザインしきれていない、面倒な部分が多いものは嫌いですね。

ゲーム作りの規模が大きくなって細分化、効率化、売り上げ重視、中古対策などが全面に出るゲームが増えているような気はします。

今後のNIGOROの野望などをお聞かせください。

PLAYISMには日本インディーゲームを配信する場として発展して安定してほしい!と言っておきながら自分たちが次の作品に数年かかるでは意味がないと思っています。

我々の次の目標は商品を増やすことでしょう。

開発期間を短くする為には規模が小さくなったりしますが、それでもLA-MULANAと比べられても面白さに遜色がない作品を作ることが出来るか。

でも気ままに思うがままに作るからこそ独特のよさがあるインディーズならではの作風も忘れてはならないと思います。

個人あるいは小規模でゲームを開発されている日本人に、伝えたいことなどあるでしょうか。

我々もそうでしたが、同世代で同じようにゲームを公開している人のほとんどはフリーで公開していますね。

おそらく、自分が作りたいものを作り上げることを最大の目標にしているので、売る為に作っている人が少ないのでしょう。

売らなくても、本業にしなくても、作品を世界に、広く多くの人に遊んでもらうのは得られることが多いです。

ゲームは完成させること自体が大変ですが、出来上がったものがあるならPLAYISMにあずけて世界に広めてもらいましょう。

最後に、日本はもちろん、LA-MULANA配信を待ち望んでいた世界中のファンがたくさんいると思います。メッセージをお願いします

特に海外のファンは長い時間待たせてしまったと思います。待たせてすまないと言うよりは、待たせただけのことはある!と言えるぐらい全力をつぎ込んで完成させたものですから、存分に遊んでほしいと思います。

LA-MULANAはたとえ評価が高い海外であっても万人に勧められるタイプのゲームではないと思っています。minecraftみたいな大成功を収めるタイトルとは思えません。

ただし、LA-MULANAを愛してくれている人達のパワーは知っています。ユーザーの作った攻略サイトや考察サイトなどは我々も見てみたいし、より楽しんでもらえるのであればスクリーンショットやプレイ動画もどんどん使ってくれればいいと思います。

万人に勧められないゲームならば、万人がうらやむほど我々だけで楽しむのもいいと思います。

最後に、PLAYISM公式twitterで突如行った、超短時間の質問募集に応えてくださった、はしもと (Lv.26) @HashimotoRST様からの質問です。

ラムラーナの曲が何の影響を受けてるかとかが気になってます!

NIGOROには作曲者が2人いて、Fearless challangerやCurse of Oceanを作曲したサミエルは60′s、メタル、ヒーローソングなどに影響を受けているらしいです。80~90年代のゲーム音楽も好きなようです。

私のほうはみんなに申し訳ないぐらい、ゲーム音楽に興味がありません。80、90年代の日本のミュージシャン、特に自分たちだけの音作りを目指す、アレンジワークの凝ったバンド達に影響を受けています。

大学時代に演劇の音楽担当をしていた時に様々なジャンルの曲をあさっていた時に出会ったワールドミュージックにも影響を受けているかもしれません。

LA-MULANAの音楽は作曲は2人で担当していましたが、リメイク版のアレンジは全部私が担当しています。

アレンジのコンセプトが、古代遺跡のイメージを高めるようにエスニック、バングラなどのワールドミュージックをアレンジに取り込んでいます。

さらにアクションゲームなので、遊んでいると体が動き出すぐらいノリをよくする為にリズムパートを強調し、エレキギターなどのバンドサウンドをミックスしています。2Dゲームだから、オリジナルがレトロ風だったからといってチップチューンのような音は使わないようにしました。アレンジされた音楽の感想も聞きたいですね。

さて、今回でNIGOROインタビューは終了しますが、PLAYISMさんさあ、もっとこういうこと聞いてくれよ!とか、オレだったらこう聞いたのに!とか、そこを深掘りしろよ!とか、楢村さんもカレー好きなんですか、とか、もしNIGOROさんに聞いてみたいことがありましたら、NIGOROインタビュー第二弾で聞いてみますので、お気軽にコメントを残してください!

(NIGOROさんに確認してないけど!)

クロワルールシグマ

クロワルール・シグマ

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